ある職人の情熱が、出発点
新潟県の日本海側のほぼ中央に位置する燕市。潟や沼地が多く、水はけが悪い土地だったことに加え、大河川の洪水が頻発。米どころ新潟にありながらも、農業が難しい土地でした。そのかたわらで始まったのが、建築物に用いられる「和釘(画像1)」づくり。この技は、さまざまな金属加工の技術へと発展していきます。

宮﨑製作所の創業者である宮﨑俊夫は、もともとはプレス加工の職人でした。1960年に創業。当初は燕市内の企業の下請けとしてプレス業を営んでいましたが、ものづくりへの情熱はやがて「自分が考える“本当に良いもの”を作りたい」という想いへと変化していくのでした。
オリジナルブランドへの挑戦
自社製品の開発をスタートさせた宮﨑製作所。初めての成功となったのが、フルーツ用の姫フォーク(画像2)です。錆びにくく、輝きが美しいステンレス鋼という素材にこだわった姫フォークは、全国各地の旅館で採用されることになります。「良いものを長く使ってほしい」という宮﨑製作所の思いが、旅館のおもてなしの心と繋がった結果でした。

アレンジを加えながら現在まで使われている3羽の鳥のマークも同時期に誕生。「スリーバード」ブランドとして、宮﨑製作所の名が広く全国に知られることとなりました。
やがて、ロングセラーとなる鍋
1960年代の後半に入り、ギフト用鍋製品の製造を始めた当社。結婚式の引出物などとして、鍋を贈る習慣が広がった時代でした。需要は伸びましたが、ひとつ課題がありました。季節ごとの商品の入れ替えです。ギフトカタログの発行に合わせて新商品を作るだけでなく、前シーズンの商品は廃棄になってしまいます。この事実は、長く使える商品を目指してきた宮﨑製作所の想いに反するものです。そこでギフト商品を縮小し、百貨店で定番商品として販売できる鍋の開発に着手。これを機に、1981年にブランド名を「Miyaco」に改名しました。
その翌年に誕生したのが、40年経った現在までロングセラーを誇る「Objet」シリーズ(画像3)です。北欧のホーロー製品からヒントを得たデザインは、いつまでも古びない普遍性が魅力。耐久性が高いだけでなく、ムラなく熱が伝わるという特徴も持つ多層鋼のステンレスを使用し、将来の普及を見越して当時はまだ珍しかったIHにも対応させました。修理やメンテナンスのサービスも提供。創業時から追い求めてきた、「長く使い続けられる製品」というテーマを実現した鍋です。

燕の誇りを、日本全国へ
燕市という日本有数のものづくり地域の企業だったからこそ、宮﨑製作所はここまで歩むことができました。他の工場と切磋琢磨をしたり、刺激を受けたりすることもあれば、社内でできない加工を依頼することもあります。この地域で培ってきたものづくりの魂は、宮﨑製作所の社風としても息づいています。
業務用ではなく、家庭用にこだわってきたからこそ、毎日快適に使えるものを。宮﨑製作所がこれからも変わらず目指すのは、長く使い続けられるいい製品です。「人」を「良」くすると書いて、「食」。時代やライフスタイルは変わっても、燕というものづくりの地域から、日本全国の料理をする人を支えたい。宮﨑製作所の大切にしたい想いです。